ビーオンウェブ代表の大木です。
先日、ある鍼灸院の先生が、スマホの画面を私に見せながら、静かにこう言いました。
──「これ、見てください。こんなの許されるんですか。」
画面には、近隣にあるリラクゼーション店のInstagramが映っていました。「ガチガチの肩こり、たった60分でスッキリ改善!」「頭痛持ちのお客様から”人生変わった”の声をいただきました♪」。キラキラした写真に、軽やかなキャッチコピー。いいねの数は三桁を超えていました。
先生の表情は、怒りというより、もっと静かなものでした。諦めに近い、深い悔しさ。何か言いかけて、やめて、スマホをポケットにしまったあの数秒間の沈黙を、私は今でも忘れられません。
この記事は、あの日の先生の沈黙を、私なりに言葉にする試みです。
“改善””治る””効果”──先生のペンを止める、3つの禁止ワード
ご存知の通り、国家資格を持つ鍼灸師、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師の先生方には、広告に関する厳しい法的制限があります。
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律──通称「あはき法」の第7条。この条文は、先生方が広告できる内容を厳格に定めています。広告してよいのは、施術者の氏名、住所、業務の種類、予約の有無など、ごく限られた事項だけ。「施術の効果」や「治療の結果」に関する表現は、原則として広告に載せることができません。
柔道整復師の先生方も同様です。柔道整復師法第24条によって、広告できる内容はやはり限定列挙方式──法律に書かれていること以外は出せない、という厳しい枠組みです。
つまり先生は、自分の技術で患者さんが良くなったという”当たり前の事実”すら、ホームページやSNSに書けないのです。
どういうことか、具体的に見てみます。
「長年の腰痛が3回の施術で改善しました」──NG
「頭痛薬が手放せなかった患者様が、今では薬なしで過ごしています」──NG
「ぎっくり腰の急性期に対応できます」──表現次第ではアウト(※行政の運用により判断が分かれる場合があります)
では、何なら書けるのか。施術者の氏名。住所。電話番号。施術日。駐車場の有無。──それだけです。
これで、どうやって”選ばれる院”になれというのでしょうか。
なぜ、あの店は”肩こり改善”と堂々と書けるのか
一方で、無資格のリラクゼーション店には、この法律は適用されません。
理由は法的な構造にあります。リラクゼーション店は法律上、「治療」を行っているのではなく「慰安」を提供しているという整理がなされています。あはき法が規制するのは「医業類似行為」を業とする者の広告であり、「リラクゼーション」「癒やし」「ほぐし」はその範囲外とされているのです。
厳密に言えば、無資格店も完全に法から自由というわけではありません。景品表示法の優良誤認表示(第5条第1号)や、医師法第17条に抵触するような「診断」「治療」を謳えば当然アウトです。しかし実態として、その取り締まりはほとんど行われていない。これが現場の現実です。
この構造が何を生んでいるか。
同じ「肩こり」で困っている患者さんがGoogleで検索したとき、検索結果に並ぶのは、自由な言葉で効果を謳えるリラクゼーション店と、施術者の名前と住所くらいしか書けない国家資格者の院です。情報量が圧倒的に違う。写真のキャッチコピーも、口コミへの返信の言葉選びも、自由度がまるで違う。
ここで誤解しないでいただきたいのは、私は無資格のリラクゼーション店そのものを悪だと言いたいわけではないということです。問題の本質は、国家資格を持つ先生方の広告表現だけが厳しく制限される一方で、その構造的な不均衡を是正する仕組みがどこにも存在しないことです。制度の問題です。
社会心理学者メルビン・ラーナーは、「公正世界仮説」という概念を提唱しました。人は「努力した者は報われるはずだ」と信じたがる。しかし現実には、3年以上かけて国家資格を取得し、何千時間もの臨床経験を積んだ先生が「肩こり 改善」と書けない。その隣で、数日間の社内研修で現場に立ったスタッフが「肩こりスッキリ改善!」とInstagramに投稿している。
努力が報われるはずだという前提が、ここでは裏切られている。
この景色を、先生は毎日見ています。私もこの現実に、心の底から腹が立っています。
Googleは、国家資格を持っているかどうかを知らない
さらに厄介なことがあります。
Googleの検索アルゴリズム──検索結果の順位を決める仕組みは、施術者が国家資格を持っているかどうかを、直接的には評価しません。Googleが見ているのは、口コミの数と頻度、投稿の更新頻度、写真の充実度、そしてMEO対策と呼ばれるGoogleマップ上での最適化がどれだけ巧みか、です。
つまり、“運用力”の勝負です。
表現の自由度が高く、投稿頻度も高い無資格店が、地域の検索結果で上位を占める。国家資格者の院は、書ける言葉が限られ、院長は日々の施術で手一杯で更新もままならず、検索結果の下の方に沈んでいく。
これはAI検索の時代になっても同じです。いまやChatGPTやGeminiで「○○市 肩こり おすすめ」と聞く患者さんが増えています。AIが推薦の根拠として参照するのも、結局はウェブ上の情報量と構造化の度合い。書ける言葉が少ない院は、AIの推薦リストにも載りにくい。そういう時代に、私たちはもう入っています。
社会心理学でいう「認知的不協和」(Festinger, 1957)。「自分は正しいことをしているのに報われない」という状態は、人の心に強い緊張を生みます。先生方の中に、漠然としたモヤモヤや苛立ちが消えないとしたら、それは当然の心理反応です。おかしいのは先生ではなく、構造のほうです。
先生は、この理不尽を誰に相談していますか
同業の先生に話しても、「うちもそうだよ」で終わる。Web業者に相談しても、返ってくるのは「もっと投稿頻度を上げましょう」「口コミを集めましょう」という、この構造を何も理解していないアドバイスばかりです。
先生が本当に必要としているのは、「投稿の頻度を上げること」ではありません。この怒りを正確に理解した上で、法律の制限の中で何ができるかを一緒に考えてくれる人間が、隣にいることです。
法律が縛れるのは”言葉”だけ。先生の技術は、縛れない
ここまで、理不尽な現実について書いてきました。読んでいて、気分が沈んだ方もいるかもしれません。
ただ、ひとつだけ確かなことがあります。
先生の施術を受けて、身体が楽になった患者さんは、あはき法の条文を読んで来院したわけではありません。ホームページの「施術者氏名」を見て感動して予約を取ったわけでもない。
来院のきっかけは、実際に身体が変わった人の声です。家族や知人からの紹介。Googleマップに残された、患者さん自身の言葉。先生の技術に触れた人が、自分の言葉で語った体験。
法律が制限できるのは、先生自身が発信する「広告の言葉」だけです。患者さんの口から出る言葉は、縛れません。先生の手が生み出す結果は、縛れません。
であれば、先生自身の言葉が制限されている中で、何をどう伝えるか。その方法を本気で考える余地は、まだあるはずです。
具体的にどうすればいいのかは、この記事では書きません。それは次回以降の記事で、しっかりとお伝えします。
今日この記事で伝えたかったのは、たったひとつのことです。
あの日、スマホの画面を見せてくれた先生へ。
先生の悔しさは、正しいです。
ビーオンウェブ 大木翔吾

